考えごと。


私の独断と偏見を書いたコーナーです。見れば見るほどなんてエラそうな・・・


●「会社」のマネジメント●
■モチベーションに関する会社の姿勢とバランススコアカード

マネジメントの考え方の一つに、バランススコアカードというものがある。これは価値観を考える際に、

  1. 財務的視点(金銭的儲け)
  2. 顧客の視点(活動によりどれだけその対象が喜んだか)
  3. 従業員の視点(その活動をやっている人間がどれだけよろこんだか)
  4. 業務プロセスの視点(ある活動を今後続けていく際に、よりうまくやれるような知恵を蓄えることができたか)

の4点から考えるという手法である。もともと企業のマネジメントから出てきた視点であるが、考えようによっては個人の生き方にもあてはめることができる。

このアイデアの出所はもちろんアメリカで、もともと株主を喜ばせるために@を追求していた企業が長期的な収益を維持するためにAが必要であることに気づき、さらに高度なサービスを顧客に継続的に提供するためにBやCの充足が必要であることに気づいたという歴史がここには刻まれている。これらを企業の業界内での位置や事業特性、経営者の志向に応じてバランスさせていこうという考え方である。

さて、これを経営者の視点から見てみよう。初めて事業を立ち上げようと志した社長は何を考えていたか。より大きな@を得たいという野心が事業の原動力となった者、一部はAにより大きな価値を与えて社会を良くしたいという崇高な志で困難に立ち向かった者といろいろあろうが、BやCはそれらの社長の目的をより効率よく実現するための「手段」という位置づけで捕らえるのが一般的なのではなかろうか。

実は私はここでBを高めるための企業をいつか興したいと考えている。事業者は社員に賃金や満足度を支払うことで労働力を得るという商売を従業員に対して行うという見方を私は取りたいと思う。私が売りたいのはとある集団の中で自分の長所を伸ばし、持てる力を発揮して顧客に喜ばせることによる満足度なのである。そして、社長にとってはこの4つの重み付けはすなわち社長自身の人生に対する価値観なのだと私は思う。事業をやろうなどと無謀なことは考えない人にも、自分が何を重視する人間なのかを自問自答してみることをおすすめする。先の視点を個人に当てはめれば、@現世的利益を重視するのか、A自分の行いによりより多くの人を喜ばせることを重視するのか、B行為の主体たる自分自身がどれだけ喜ぶか(このままだと@ACの全てを含むため、ここではマズローの言うところの5段階の欲求の内低い3つの欲求タイプ、生理的欲求、安全の欲求、所属と愛の欲求に限定する)を重視するのか、Cより効率的、効果的に自分の望む行為をできる人間となること(自分自身が優秀な人間となること)を重視するのか と翻訳されると思う。

実は人間はBを満たすことができればそれだけで十分すぎるほど幸せだという説もあるのだが、みなさんはいかがだろうか。

■部門の壁
 

私は仕事柄多くの部門間の調整をすることが多いのだが、ここでいつも思うのが、どの組織の長も企業全体の利益より部門の利益を尊重していることだ。この原因として、おおまかに

  1. 部門の業績(売上、残業時間等)が自分の評価に結びつくため、自部門の重要な収益源を減らすような変革は利益を下げることになるため
  2. 自部門の仕事がキツくなり自分の負担が増えるにもかかわらず、評価に影響がないため
  3. 逆に、仕事が減っては自部門の存在意義がなくなるため

といったことが挙げられる。ここで、1.と2.は単純に会社側の評価体系に問題があるだけだが、3.は比較的多くの要因に目を向けなくてはならない。

1.と2.については、評価者たる役員や事業部長等と、被評価者たる部長が、そもそも評価とはどういうことか、役職とは会社にとってどんな意味を持つのかを正しく知る必要がある。基本的に評価には業績の絶対量と挙げた業績を評価する場合と期待していた業績の比率を評価する場合の2つのケースがある(もちろんそれ以外のわけのわからない部分を評価する会社はごまんとある)。
基本的に部門の役割・業務は企業全体にある役割を会社からの管理のしやすさ、実務担当者の業務のしやすさの両側面から効率的に分割してできたものであり、期待役割はある一定期間に企業全体が挙げたいと思っている業績を実現するための要素を各部門の実行能力・実現性を見ながら割り振ったものとなっているはずだ。

その期待役割に対して社員はどう振る舞うべきか。会社と社員との間の関係を契約として考えると(本来どんな雇用関係も、いや、ほとんど全ての人間関係は契約だというのが私の私見)、会社は社員に対し期待役割を提示する責任があり、この期待役割を見ると、会社がその社員の年収を支払うために求める業績が明らかになる。もちろん、期待役割に対して報酬に不満があればより適切な報酬を支払ってくれる会社に移ってしまう可能性がある。こういった関係がオトナの企業と従業員との関係だと私は思う。

1.と2.の不満についてはその従業員(ここではある部門長)の期待役割と業績評価指標をちゃんと修正することができれば理論的には解消できそうだ(挙げることのできる業績の絶対値が小さくなるために他の部門長との間の競争(より上位の職位への抜擢等)に不利になるという面もあるのだが)。

3.がこの話題についてのミソである。『わたしの部門は会社にとって重要なんですか』『わたしは会社にとって必要な人間なんですか』これらの問いにきちんと答えるためには結構な知恵が必要だ。世の中にはリストラクチャリングやリエンジニアリングといった企業構造の改善手法があり、適材適所という言葉がある。きれいに効率良く構成された企業には無駄な仕事はなく、部門もない。どんな部門も確実に企業に必要とされるように設計することはできる。ところが、従業員のポテンシャルをできるだけ高く引き出すための人員配置をすることはできるが、全ての従業員を最大に生かすことはできない。なぜなら、たいていの企業には「いればいるだけ儲かるのでたくさんの人にやってほしい仕事」と同時に「企業を回していくために必ずある程度の人数が必要で、それ以上はいらない仕事」があるからだ。本来きちんとこれらの人数を見積もって後者を必要なだけ、前者を管理できるだけ採用できればいいのだが、これらの人員の要件は日々刻々と変わるし、仕事は昨日まで必要だったけど今日からは要らないと決め付けることができるが従業員はそうはいかない(少なくとも今日明日というスパンでは)。

また、その人が最も高いポテンシャルを持っている業務分野が最もやりたい業務であるとは限らない。私がそうだが、ヘタの横好きというヤツだ。こういう輩がやりたい職務に就きたいと思ったら「それしかやっていない」会社に転職するしかない。私が普通の会社に移って今のような仕事にちゃんとつけてもらえるかは結構あやしい(最近はコレしかできなくなってきているから仕方なく就けてくれるかも)。

ということで、ここらへんは結局運でしかない、というのが私の立場。ビジネス経験が長く会社の表も裏もある程度見極めることができる人ならともかく、学生や狭い業界しか知らない人などが自分の好きなことをやらせてくれる会社を選ぶというのは非常に難しい。「じゃあ私はビジネス経験が豊富だから大丈夫」とうそぶく人も将来どんな仕事が必要になっていくかを予言できるわけではない。自称/他称「神」のみなさん以外の一般人ができることは経験値を増やしてカンを養うことと、方向修正の機会を多く持つこと。つまり、積極的に転職のチャンスを窺うことだと思う。幸い世の企業は労働力を流動的に持つべきだとの考えを徐々に持ち始めており、そういった意味では昔の人よりわれわれは恵まれている。高橋俊介のセリフになってしまうが、大事なことは「自分の市場価値以上に生活レベルを上げて選択肢を狭めないようにし、自分自身の流動性を保つ」ということだ。

●「ユニット」のマネジメント●
■モチベーション・コントロール

世の中には部下のモチベーションを管理する方法がそれこそ山ほど語られている。基本的にはどれも誉めて喜ばせたり、叱って「あのバカ上司を見返してやる」と思わせたり「自分がこういうことができないのはいけないことなんだ」と自省させたりする、いわゆるアメとムチの2択で書かれているようだ。

どちらも気の遠くなるほど昔から言われていることでそれなりに正しいのだが、人には「てっぺん」というものがある。という点が強調された本はあまりみかけない。上に上げた3つの方法がうまく行かないのはどんな時か。それぞれ、

  1. ある程度誉められればもういいやと満足しきってしまう
  2. もうあんな上司にわかってもらう必要はないとあきらめてしまう
  3. 自分ができるべき仕事はもうこなしているんだからあの上司に恥じ入る必要はない

と受け取る場合だろう。
2.はともかく、1.3.でとどまってしまうケースは非常に多く見られる。えせプロフェッショナルが集う我々の業界でさえそうだ。ところが上司は上司で部下に目指してほしいビジネスマンとしてのレベルがあり(これが上司自身のレベルより低い場合があるという困ったケースも多い)、そのすれ違いが上司と部下の間の不信感・不満感につながっているところがいたるところで見うけられる。

これはユニットの生産性を最大限に引き出すことを使命とするマネジャーはもちろん、企業全体にとっても部下にとっても不幸以外の何物でもない。これをなくしていくために必要なのは地道な意識向上活動と「目利き」だ。地道な意識向上活動の一つしては、単純に上司を初めとする周囲の人間が、気持ちを大きくさせる『夢』を語ることがある。私が初めについたマネジャーは入社したての私に対して、頻繁に「世の中を変えたい」「目立ちたい」「いくらくらいもらいたい」「知人がこれだけ成功しているんだから俺だっていつかそのくらいにはなれるはず」「そのためにちょっとずつこんな風になりたい」と、常々夢とそれを叶えるための道しるべを語っていた。これは女性を口説くときにも使っていたようだが、彼の話を聞きつづけることで世のほとんどの成功者を別の世界の住人だと思わないようになった。『あいつにできて俺にできないわけがない』銀河英雄伝説でいうところの『ルドルフに可能だったことが俺に不可能だと思うか?』である。

これは極端な例だとしても、全体が気を大きく持って、どんなことでもとりあえず実現の可能性がゼロなわけではないとお互いに思わせつづけることはポテンシャルを引き出すための基礎の基礎だと思う。人間は基本的に自分で設定した目標を達成すると満足してしまう生き物なのだ。誰かが目標を引き上げつづけなければ、いつかは能力もやる気も頭を打つ。上司の役目の一つは、部下の目指す「てっぺん」を見きって、それをできる限り高めてやることだと思う。もちろん、そんな部下の夢を聞き出すために人間的魅力とインフォーマルなコミュニケーション能力を磨く必要があるのは言うまでもないし、焚きつけるだけでなくそれを信じさせるために適度に困難だがちょっとのブレイクスルーで成功できる仕事を作ってやる能力も必要になる。人間は、口だけで「信じろ」と言われて信じることができるほどバカではない。

ところが、どんなに「てっぺん」を高めようとしても残念ながら人間には能力の限界より手前に意志の限界がある。器と言い換えてもいいのだが、「これ以上を望むことはできない」という限度がどこかにある(能力の限界はたいていの場合意志の限界のはるか先だ)。広末涼子と藤原紀香が両腕を抱えてくれて、ついでに私の最近のお気に入りである観月ありさがいろいろ(なところで)応援してくれても思えないものは思えないという限界があるのだ。この限界は先天的資質と後天的な環境で形成され、後者は今まで述べたような周囲の働きかけでなんとかできても、どうしても先天的な野心の強さというものは存在する。

残念ながらここは「見切る」しかない。人の器の見切りは最適な人材配置によって組織の力を最大化するための基礎情報でもあり、その従業員にムリな期待・仕事と不幸を押し付けないための重要スキルである。そのために、部下を抱えるみなさんにはぜひ「あなたは何をしたいですか?」「あなたは何ができることがうれしいんですか?」を根気強く聞きつづけてあげてほしい。

■仕事を振るための人材育成

会社にとって、そして自己実現欲求の高い人にとって一番幸せなことは何か。それは、部下が上司の仕事をやって、上司がより価値の高い仕事をやる時間を生んでやることである。会社としては同じ仕事をやらせるならより安い人間にやらせたほうがコストパフォーマンスがよくなる、というわけだ。これが部下を管理する者の最大の目的だと言ってもいいかもしれない。そのために日々将来仕事を振ることを見据えた仕事の進め方をしていくことが重要である。

たとえば、(あくまで部下の仕事を邪魔しない範囲で、だが)自分の仕事を進めるときに、考え事に混ざってもらうのが良い。自分のアタマが凝り固まっている場合に別の考え方を導入できるという効果もあるし、「基本的にこう考えてほしい」というプロセスを伝えてあげることができる。また、副次的には自分が高い意思決定に参画しているという満足を与えてあげることもできるし、後々説明をするときの理解も深まる。

特に、考えるプロセスを教えることは部下育成の最も重要な部分でありながら、その機会は意外に少ない(困ったことに、たいていの人が自分の考え方を伝えるのは部下を怒るときである。もちろん聞く方は嫌気がさしまくっていたりするわけだ)。世の中で若いヤツらの仕事をする能力が落ちているとはよく耳にするセリフだが、その前に自分がわかって欲しいこと、伝えておきたいことをちゃんと整理して、伝えるための努力をまずはしてもらいたい。残念ながら、「盗んでやる」と思って仕事をする人間はかなりの少数派なのだ。

■上司は部下の意見をどこまで聞くべきか?
■怒ること、誉めること
●「個人」として●
■(大きく語ってかっこよく)
●「業務」の話●
■ミーティングマネジメント


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