日記:99年10月

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<99年10月の主な出来事>
就職。だけどパープー社員。
やっと納車!!さらばMR2!!
J○Lで行こう沖縄。



10/1
[久々の社会人]
ついに今日から入社。まだオリエンテーションなのでいわゆる入社直後の学生気分だ。仕事をやる気がやたらあるのも新入社員と同じ。学生と違うのは、オリエンテーション用資料に入っているexpectationを見て、「あと一年で何をやっていこうか」と考えたこと。要するに、会社が社員に期待することの内容・理由と修得の仕方・修得することの意味が自分なりに評価できるようになったというのが変わったところだ。

ここに書くのは怖いが、私の目標は来年9月の昇進。そのためにmanagerのexpectationを見ていたのだが、manegementについてはほとんど問題なし(かなり増長)で、今年マスターしなくてはならないのは一部得意なindustryを持つことと、幅広い分野の知識を「えらそうにクライアントに説明できるように体系立てて理解し、最新の事例をフォローしておく」こと。さすがにまだ全く知らないという分野はないのだが、「これこれの本質はこうなんです」というために考えなくてはならない時間は膨大だし、最新事例をupdateし続けるのには私が最も嫌いな努力をしなくてはならない。

今回も一部の友人には私の目標を話してしまったのだが、年賀状に書くにはちょっと度胸がいりそうだ。私の読みでは、昇進の可能性は3割程度というところか。

10/6
[980円バイキング]
10月から通っている私の新しい勤務先は飯田橋にあるのだが、今日は980円でたっぷり食べることができるバイキングを発見した。そば、ヤキソバ、スパゲッティ、五目ごはん、白ごはんを主食に、各種スープ、和洋中のおかずとデザートが合わせて20品程度。とある古都のようにギ○ングスターズが徘徊しているような町にはあってはならない店だ。11時半くらいに行ったのだが意外と混んでおらず、たっぷりと食べさせていただいた。

・・・そう、たっぷりと、である。取り皿にとった後に気がついたのだが、おかげで今日は晩メシ抜きである。ああっ、でも明日も行きたいよう。

10/15
[Evangelist]
昨日今日と、新人研修ではない、普通の社員が受ける社員研修を受けてきた。入ったばっかりだというのに仕事(ジョブと呼ばれる、クライアント向けの仕事)が少なめで、まだまだお気楽な感じだ。

研修や、同期入社の友人の仕事ぶりを聞いていると、非常に失礼な言いようだが論理的に考える、書くといったことや魅力的に話すといった点では以前の会社より社員全体としてレベルがやや低いようだ。どのくらいかというと、たかだかコンサルタント4年目の私のプレゼンテーションの経験や分析の経験をえらそうに受講者の前でしゃべってそれなりにありがたがられるというくらいだ。また、さらに失礼なことに講師とそのアシスタントも講義の内容をあまりはっきりと理解していないようで、ちょっと聞いただけの私が説明の補足を入れるほどでもあった(講義の内容は論理的思考なので、特有の知識を必要としないためだ)。

翻って、この会社は以前の会社と比べて人間性の面での人の質は非常に良く、以前は思いもしなかった「この会社のために貢献しよう」という気持ちを強く起こさせる良い会社だ。そこで友人と飲みながら話したことが、「どうも俺らの考え方、書き方、話し方程度でもそれなりにこの会社では新鮮なようだから、いっそ俺らで研修のプログラムを作って講師をやってしまおう。二人で内容を詰めれば、それなりに穴もなく、飽きの来ないプログラムにすることができるはずだ」ということだ。 考え方というのはオーラルコミュニケーションの効率にも非常に強く関係し、ちょっとした議論をしながら仕事を進めていく我々の仕事では仕事の能率と直結する(あともどりや誤解を減らせるということ)。というわけで、これらの方法論を社内で共有することは極めて有意義なのだ。

さすがにまだ入社して半月なので少しの間はこんなアイデアは社内では伏せておくようにするが(ここのURLは新会社の誰にも知られていない)、仕事のスタイルなども含めて新しい会社に別の思想や風土を吹き込めるような伝道師(タイトルにもある、エヴァンジェリスト)になることを目指してみようと思い立った、今日の飲みであった。

10/16
[わかばマーク。]
ずっと前に購入したはずのインテRがやっと今日納車された。全体的にちょっと大きくなり(といっても長さが20cm伸びただけなのだが)、とりまわしが面倒になったような気がする。ただ、走りの方は非常にレベルが高く、MR2の時にすごい横Gを感じていたコーナーをまるでレールの上を走っているかのように駆け抜けた。スピードも以前より速めなので、前は単にロールしまくっていただけだったということがやっとわかった。

ということで非常に満足しているのだが、一方で自分の方に不満が噴出している。前のクルマを運転歴の短い友人にあげて「うーん、こういうことも難しいのかなぁ」と助手席で思っていたのだが、自分が新車に乗ったらこれと全く同じ。車幅はあやしくて20cmくらい余裕を取ってるし、車庫入れどころか後ろをどこまで詰めてわからないし、そもそもリヤスポと後ろのピラー、助手席の配置が絶妙で後方確認も相当しにくい。なんといっても、ルームミラーで後ろのクルマを見たとき、リヤスポで覆面パトの回転灯が隠れるのはドキドキものである。

エンジンの方も前のようにぬるっとした感じではなく、ちょっと荒いアクセルのオン/オフなどにも非常に敏感で、今のところ私の運転するインテRは以前に比べて遙かに乗り心地が悪いはずだ。四輪の走るラインも違う感じなので以前のように無意識には運転できず、いろいろ気を配って走っている。若葉マークにふさわしい初心者と言えよう。これからマメに乗って、すこしずつ自分の足にしていきたい。これが楽しいんだな。

10/18
[書き溜めしりーずその1:謎の病!?]
もうずいぶん昔、というか、これを書いている25日午前3時半から見るともうまるまる一週間前のことになるのだが、18日の未明、朝4時ごろ腰のあたりに激痛を感じて目が覚めた。やたらと薄着をしていたこともあり、ヘルニアを患っている神経を冷やしすぎたかと思ってしばらく布団にくるまっていたのだが一向に良くならず、それどころか痛みはどんどん増してくる。『これは神経ではない!?内臓か?』『最近不摂生・・・してるか』『全然痛みがひかないけど、このあとどうなるんだろう。とりあえず救急車を呼んで・・・そのまま入院か?』と、まあいろんなことを考えた。悶絶しながら。結局、『さあマズイ。救急車は確定だけど、その後ずっと起きあがれなかったらどうしよう。あ、葬式代準備してないや。共済入っておくの忘れてた。アイバンクとか臓器提供カードもまだ準備してないんだよなぁ・・・しまったぁ!!』と思いつつ、ちょっとばかり部屋を片づけて救急車を呼んだ。

診断の結果は結石。ひたすら水を飲んで、適当に薬を飲みつつ治すことになった。ちなみに翌日以降同じような痛みはなく、とりあえずは小康状態である。今回のミソは覚悟完了だったということ。このまま家に帰って来ないかもと思った割には全く心残りはなかった。漢(おとこ)たるものかくありたしである。

10/19
[書き溜めしりーずその2:水面(みなも)水面水面!!]
この日はわけのわからない夢を見た。翌々日から沖縄へ社員旅行だったせいもあるのか、とあるホテルから出たところで一面光を讃えた水面が広がっているのを見た。初めはなんだかわからずただまぶしくて、『おおっ、水かいな』と思うまでしばらくかかったような気がするが、その後がまた面白かった。見る見るうちに水面はせり上がり、4〜5メートルの津波になって押し寄せてきた。ホテルの中に逃げ込んでも潮はどんどん押し寄せてきて、最終的にはホテルはぽっきり折れ、横倒しになって波の上を転がった(もちろん、その中で人間が床だの天井だのを転がりまくったわけだ)。それだけなのだが、視界全体が揺らめいてきて津波になっていくところはなかなか美しく、『俺って絵心あるなぁ』と、ちょっとナルシーな気分になった。

10/21
[書き溜めしりーずその3:J○Lで行こう沖縄]
私はこの10月に新しい会社に入社したのだが、いきなり社員旅行ということで念願の沖縄に行ってきた。プリクラならぬ自分のカメラ用藤原紀香フレームを持って歩くスチュワーデスさんが歩いてたりする飛行機でわずかに2時間、昨年急な入院で行けなかった沖縄にやっとたどり着いた。ある程度予想されたとおり、もう冬だというのに半袖で十分なほど暑く、5〜6年は確実に入っていないはずの海に入ってきた(もう次に泳ぐのは10年後とかだろうなぁ)。北海道の5倍以上だという紫外線も、暑くて湿度も高い割には不快にならない気候(平らな島なので風が吹き抜けるんだそうだ)もやけに産業の香りがしない田舎道も、『あぁ、これが沖縄かぁ』と、18の時に北海道に初めて行った時のような感動があった。いやぁ〜、堪能しました。

10/22
[書き溜めしりーずその4:ハブおじさん]
・・・というタイトルを見てめぞん一刻の四谷さんを想起した人はただ者ではない、とそれは置いておいて。

この日は観光。『花の慶次』で(私にとっては)有名な首里城と琉球村に行って来た。その中でも出色だったのが琉球村でハブ対マングースの決闘を仕切っていた、白衣を着た謎のおじさん。初めは白衣のイメージにふさわしく『始める前にまずハブとマングースの生態を少しご説明します』とか言っていたのに、いつの間にかハブ油とかハブ粉の宣伝になっていたり、随所に笑いをちりばめた絶品のトークをかましてくれた。淡々と表情・姿勢を変えずにしゃべり続けるところがまた良く、少なくとも私の周囲は爆笑しっぱなしだった。私は観光なんかを人に勧める人間ではないのだが、ここは例外。皆さん、沖縄に行ったらぜひ琉球村のおじさんに会ってきてください。

10/23
[書き溜めしりーずその5:戦地琉球]
この日は自由行動ということで、協調性のない私は一人8時過ぎに起きて、かつて太平洋戦争の末期に米軍が上陸した国内唯一の地、沖縄南部戦線の慰霊碑と資料館を見てきた。修学旅行生もたくさん来ていたのだが、さすがに数々の悲惨な展示と一面に広がる慰霊碑の前でそれなりに神妙な気分になっていたようだ。資料館の出口前には多くの修学旅行生の寄せ書きや千羽鶴があり、皆ここに来た人は戦争がばかばかしくて悲惨なものであることを学んでいくのだなぁと感心した。

しかし、である。『戦争はやめよう!!』と口を揃えて言うのは結構なのだが、なぜ人間がいつまでたっても戦争から卒業できないのか、ちゃんと考えているのだろうか。(武器を持たない、体力がないなど)弱い人が殺されていくのは悲惨だ。やめたい。他の国の人を殺したりしちゃいけない。だから兵器も持ってはいけない。国も個人に戦争を強要してはいけないし、そもそも国家間の争いのカタチとして戦争は最も愚かだ・・・等々、それぞれにもっともだ。みんなこういった展示を見たりドキュメンタリーを見たりすればここまでは思うはずなのに。これまでの歴史でもこういった反省は世界中のあらゆる国民が無限に繰り返してきただろうに、なぜ戦争が起こり続けるのか。

『軍産複合体を生き延びさせるためだ』などといったありがちな裏側の事情は置いておいて、なんで人が人を殺そうと決心できるのかを考えた。殺されそうになって、自分の身を守るために相手を殺した、ということはあるだろう。是非はともかく、生き延びようと思う権利があらゆる生物にあるはずだ。じゃあ、誰が初めに殺しを始めたのか。私は不勉強なので太平洋戦争の一番初めの引き金がなんだったのかは知らない。ただ、初めて相手を殺そうと思った人は命の危機を感じたのではなく(あるいはそれに類する妄想を持ったのかもしれないが)、征服欲なり支配欲なり、自分自身の勝手な満足感を得るために相手を殺そうと思ったのではないかと思う。

これの原始的な感情はそこかしこで見受けられ、自分の本能的な満足感のために他人を精神的/肉体的/社会的に攻撃『したくなる』人間はおそらく全人類の99.99999・・・・・・・・%と、ほぼ全員と言っていいほどいるだろう(もちろん私自身も例外ではない)。極論になってしまうが、私は戦争を起こした人間と普段から他人を傷つけたくなる衝動抑えきれず、人の気持ちを考えない言動を繰り返す人間との間に本質的な違いはないと思う。

ただ、脳ミソが付いている自称考える葦兼万物の霊長たる人間はそれが愚かだと理解して抑えることの出来る理性を持っているはずだ。うまく育てれば人類の精神ももゆっくりゆっくり進化していくはずだと私は信じている。『戦争はしてはいけない』と、感性で理解した参観者の皆さんの一部だけでも、自分の普段の行動を振り返ることを覚えてくれればと願ってやまない。

10/31
[俺はいったい何歳だ!?]
昨日の話だが、実家の近くのカワチ薬局でいわゆる健康ぐっづを仕入れてきた。「中山式快癒器」といわゆる「踏み竹」、踏んで足の裏のツボを刺激するヤツである。「中山式快癒器」とは、背骨の両脇を刺激するように4つの突起の付いているあんま器で、コレの上に寝転がってちょっとずつズラしていく。

読んでいて分かると思うが、このじじくささはタダゴトではない。とてもじゃないが、独り身の27歳の買うモノ、使うモノではない・・・はずなのだが、腰痛を持っているだけでなく全身血行が悪くなりつつある私には非常に気持ちいい。来週から郡山に3ヶ月ほど出張になるのだが、ひょっとすると毎週末の行き帰りにこれを持って移動することになるかもしれない。



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