* 作家の大江健三郎がとある高校に講演を依頼されていたところ、『政治的には話題に触れる場合には中立な立場になるように配慮してもらいたい』『一般的な講演をお願いしたい』等と言われ、辞退したというニュースを読みました。
* こんなに人をバカにした話もそうそうありません。もちろん意志をもってそれを伝達・表現しようと、いったんは受けようと思っていた大江さんもそうだし、中立でないことを話されるとヘンな思想を持ってしまうんじゃないかと大きなお世話をされた学生さんもそうです。
* 大体、「一般的な話をしてくれ」とは何なんでしょう。そんな話はメディアにごろごろしているし、わざわざ人様の大事な時間を割いてもらって話してもらうようなことではありません。メディアにはなかなか載らないその人ならではの意志や、まだ多くの人には知られていない珍しい情報等、「その人が自分の口で話さなくてはならないこと・その人自身が伝えたいと思っていること」をお願いして話してもらう、それが講演というもののはずです。よりにもよって、ものを考えて、それを発信することでメシを食っている人に向かって失礼極まりないと私は思います。
* 次に気に入らないのが「学校から発信される情報が中立に加工されたものでなくてはならない」という態度です。そもそも、わざわざいろんなバックグラウンドの子供を集めて一つのテーマを45分なり60分なり考える理由は、個人では思いもつかない、多面的な発想を学ぶためであるはずです。そうでなければ各々自宅で好きなスタイルで勉強すればいいのですから。
* ある一つの偏った思想が発信され、学生がその思想に染まってしまうのが怖い、というのは教師自身がその無能を認めているのと同じだと思います。本来、一つの発想が現れたときにはその場で多面的な思想を提示することによりその視野を補完し、あらゆる可能性のなかから生徒個人個人が自分の意志を持って一つの思想を選ぶ、これを教えるのが学校教育だと私は思います。幼稚園生や小学生ならともかく、高校生に対してそんな判断能力を教えきれていないというのは教育する側の怠慢と言ってしまってもよいかもしれません。
* 今回のニュースはなかなか象徴的でした。なぜ意志・責任・覚悟・誇りを感じられない日本人が多いのか、よくわかった気がします。
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