日記:2000年5月

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5/9
[ゴブサタしてました。]
まるまる10日近く空いてしまった。そんなに忙しかったわけではないのだが・・・その間100近くカウンターが増えているのを見るとゾッとする。見に来てくれた方、ごめんなさい。
連休はなにをしていたのかというと、基本的には家の契約(の一歩手前)、掃除、洗車、料理等々、雑務に近いようなことばかりしていた。やたらと3連休の増えた今、たかが5連休程度ではその延長みたいなものだ(あろうことか私は終わりの2日は半分風邪をひいて寝てばかりだった)。昨年の日記を見てみると結構いろいろと足を伸ばしていたようだが、今回は家!!という気がかりなこともあって(今もローン審査の結果が心配であまり集中できない)、週中の祝日がちょこちょこ続いたような感じできっちり休んだ感じはしなかった。京都を引き上げる頃にはいろいろとまとまっているだろうから、そのときにきっちり休もう。

5/13
[世の中はキビシイ!!]
何のことかというと、ここしばらく私の最大の関心事になっている住宅ローン審査のこと。200万のクルマの3年ローンがまるまる残っている、去年は1ヶ月働いていない(収入が少ない)、転職して半年、銀行のカードローンが乗っている、次の昇給が9月でアテに出来ない、会社が胡散臭い(笑)といった条件があって、月々の支払額が現在より減るはずなのに結構難航している。というか半分くらいの確率で審査に落ちそうだ。まぁそれはそれで今は家を買えるタイミングではなかった、ということだ。

そもそも私くらいの年齢は勤続5年くらいで概ね収入も読めるようになってきて、「普通は」結婚だののためにぼちぼち貯金もあり、一方支出の方でもそろそろ所帯を持って可処分所得の増加が減り出す頃。リスクと金利が最適になるように与信審査をしなくてはならない銀行が、私と同じように『この先数年は可処分所得が増加して、返済の余裕はどんどん大きくなっていく』と読むのは確かに間違っている。客観的に見て異常なライフプランとキャリアプランだなぁ・・・とつくづく思う。

今回のように本来手に入っても良いものが手に入らないというような時にはこうしたことに気が付くことが非常に多い。これぞ長生きする理由、ですな。

5/14
[スポーツ文化。]
今日はテレビを見ての感想。元ラグビー日本代表の大八木淳史が大学時代にニュージーランド留学していた時の友人を訪ねるという番組を見ていたのだが、感動したのがニュージーランドラグビーリーグの入場料。面白いことに、大人だけで見に行くと一人32ドルのところ、子供を連れていくと2人までなら子供込みで20ドルという料金設定になっているそうだ。要するに、次の世代のプレイヤーとなってほしい子供たちがよりラグビーに親しんでくれるようにとの計らいだ。

私の見る3大スポーツ、ラグビー、サッカー、相撲。このうち相撲以外は海外と戦うために、国内でも最高級の身体能力を持った人間に優先的にプレイして欲しいところ。そのためにも、子供が他の競技よりも強く興味を持ってもらえるよう、親しんでもらえるよう努力する必要があると常々感じている。

彼らは自分が好きな競技だから、ずっと自分の国で多くの人に親しまれる競技であって欲しいと考えてこういったアイデアを考えつくし、実行に移しもする。目先の興業成績のために4年に一度の世界最大級の大会に備えた強化もできないどこぞのなんちゃら協会とは大違いだ。スポーツも、そのスポーツがそこかしこで楽しまれる自分の国も、プレイヤーであり続けてくれる自分たちの次の世代も愛している、そんな本当の『スポーツ文化』が日本にも誕生する日が来ることを願ってやまない。

5/15
[ふぇろもん。]
今日はあまりにもナニなのでちょっとだけ。
私はあまり芸能人などに興味を持つ方ではないのだが、倉木麻衣は別。特別かわいいとも思わないし、歌がうまいわけでもないと思うが、そこはかとないフェロモンを強烈に感じる。生まれてこの方「これがフェロモンだ!!」と思ったことはなかったのに(ふぇちゴコロをくすぐられたことは星の数ほどある)。しかも対象は高校生・・・まずいなぁ。

5/17
[折れちゃいました。]
先日「キビシイ」と書いたローンの話、結局人の援助を受けて(要するに借金)審査を強引に通すことにした。この部分は大急ぎで返すことにするが、結局「自分の信用貸しと家の担保分だけでなんとかする」という当初の方針は覆ったわけだ。目的のために簡単に手段の制約をひっくり返したわけで、我ながら節操ないなあとも思う。無念だ。

・・・と言いつつ、もうほとんど審査は安パイで、年内に引っ越しすることになりそうだ。やっぱりうれしいよぅ。

5/20
[北斗的魂。]
昨日は前職の時の友人と飲んだ。以前の会社がこの先どうなるのか、今の私の会社がこの先どうなるのか、同業ならではの非常に濃い話が出て充実していた。

ん・・・タイトルと全然違う。そう、北斗の拳の話が出たのだ。大体において私の話になったら欠かせないことになってしまっているのだが、そこで立山や浦霞を飲みながら豪語してしまったのが、『僕は北斗の拳の精神を世界で最も魅力的に書く自信があります!!』。ということで私的な北斗の拳解説をこのページに設置しなくてはなくなってしまった。ついでにこれは言われたこと。『お前の書こうと思っている本なんて後回し後回し』。え〜!?

5/21
[契約の日。]
昨日はついにマンションの売買契約を交わしてきた。2時間半にわたって説明を延々と受けて、だらだらしていたはずなのだが気持ち的には満足感でいっぱい。後はローン審査用の書類を準備したり、引っ越しまでの宿を確保したりと事務的なことが山積みなのだが、正直笑いが止まらない。あ、あと貯金もコツコツしていかないと。

5/22
[優勝!!]
誰のことかというと、私が中学生(160cm55kg)の時の柔道部の友人の話。彼は中学卒業後二子山部屋に入って、コツコツと幕下〜三段目付近で相撲を取り続けていた。私が「相撲」等の雑誌を読み始めたのは大学に入ってからの話だが、3年間を除けば初の優勝のはず。貴乃花も負けたことだし、昨晩は以前私が住んでいた、二子山部屋のお膝元である中野新橋のちょっとしたヒーローだったかも知れない。もう私のことは覚えていないかもしれないけど、おめでとう。

5/29
[上級者には勝てない!?]
今日はちょっと古い話になるが、船木vsヒクソン戦について思ったことを。
結果の方はご存じの通り1R10分ちょっとでヒクソンが船木を絞め落として、大方の予想通りの勝利を収めた。技術的なことは置いておいて、コレをリアルタイムに近い状態で観た(テレビ東京のCMの入れ方には許し難いものがあり、思わずfaxを送りつけたくなった)私が気づいたことがある。

『はじめの一歩』で書かれていたことだが、「世界チャンピオンになるにはチャンピオンより強くなるしかねぇんだ」ということだ。よくグレーシーとやるときに「寝技をやったら負けるからスタンディングでダメージを削ってスタミナで勝つしかない」と口を揃えて言うが、コレで勝てるのは2流もしくは1.5流までだと思う。私は勝負事らしきものは麻雀・将棋・囲碁・柔道等をちょっとかじった程度なのだが、超一流の人間は、相手がいくら得意分野を避けようとしても、他の分野でもミスを全くしないのでいつか必ず得意分野で勝ってしまう。今回なら、いくら打撃で若干の優位があろうと、一発でKOされない技術がある以上寝技でいつかは取られてしまうということだ。桜庭はうまくスタンディングだけで勝負することができたが、少なくともある程度の回数寝技に引き込むことが出来るヒクソン相手に勝つには、「寝技でも負けはしない」という程度の技術が必要だと私は思う。

私が学生時代柔道をやっていた時も、寝技で五分以上にやる技術があったとしても立ち技でKO(この場合は一本)を取られる技術レベルである以上、確実に立ち技の部分で負けてしまう。引き分け以上にするためには一本を取られないレベルは絶対に必要だったわけだ。
麻雀はそんなに明確ではないが、相手が攻めてきたときには専守防衛で、自分が攻めることが出来るときにだけ攻めるのでは、一流相手には絶対勝てない。将棋や囲碁もそうで、上級者相手に専守防衛でミスや息切れを待ってもそんなチャンスはまず来ない。そもそも、そんなミスをしないから自分よりも上級なのだから。これは特に将棋で分かりやすいと思うのだが、実力が劣る側が紛れ・番狂わせを生むためにはとにかく戦いの主導権を持つしかない。コーナーに押しつけられて、相手の攻めを受けるばかりではノーチャンスなのだ。挑戦者でありながら主導権を簡単にチャンピオンに渡すということは日本のあらゆる競技の選手で見受けられることだが、超一流には「負けない戦い」をしても負けるということをもっと考えて欲しい。

対ヒクソンの話に戻るが、いつか日本の格闘家がヒクソンに勝つために、少なくとも瞬間的に抑え込まれたり、1分も粘れずにチョークを取られるようなレベルからは脱却せねばなるまい。抑え込まれるまでに2分、バックを取られるまでにもう1分、チョークに入るまでにもう1分時間を稼げれば、ゴングは鳴ったのだ。そろそろ勝ってもいい頃だと思っていた私は非常に残念である。

5/30
[脳。]
最近新幹線やファミレスのお供になっているのが立花隆「脳を鍛える」。
彼が東大の教養でやっている講座の内容に加筆したものだが、非常に興味深い。前フリからして、「文系だろうが理系だろうが、今の大学生は学問をするための基礎知識が完全に不足している。そのまま生きていては、人類の知に貢献できる人材には絶対なれない」(ぶっちゃけた話、生物として人類という種に貢献できない)という感じ。

こうした心構えの上で、考える力を高めるというのはどういうことか?ということをいきなり脳化学の話から始める。元々理系で、心理学・哲学・歴史・認知科学ふぇち(ちゃんと知識があるわけでもないのに聞き始めると非常に興味を持つ)な私には非常に興味深い。あまりに内容が濃いために時間がかかりすぎ、未だに読み終えていないのだが、いいなと思ったことを一つ。

人の意志・意欲・計画性などを司る脳の領域(前頭葉の前の部分)は、人間以外の動物には存在しないらしい(と書いてあったのだが、別のソースではマカクザルというサルには対応する領域があるようにも書かれている。読みこなしきれていないかも)。他の機能、運動・言語・認知・意識といった部分は多かれ少なかれ他の動物にもあるが、この領域はヒト特有のものらしい。
以前ロボトミー手術がノーベル賞をもらって公に行われていたことがあるが、手術を受けた人間の精神病発症数が劇的に減る一方、自分の活動に対するコミットメントや何事かを企画しようとする意志が全くと言っていいほどなくなり、人間にとって最も大事な機能を損ねたとして全面禁止になったということだ。

これらの事実・判断は、要するに人間が他の動物と違う理由、人間である理由が「意志を持って、それに向かって必要な活動を積み重ねること」であるという立場に立ってのもので、ついでに立花氏は「最近の若い連中はこの機能が非常に貧弱な連中ばっかりで、日本のお先は真っ暗だ」といった内容のことまで書いている。

今のところ氏が書いたことには概ね同感で、同じ様な問題意識を持って、非常にスキルの高い彼のような人間が教育の現場に立ってくれることは(日本の)人類にとってささやかな幸運だと思う。実は私にも密かに教育っぽい活動をしようという企画が1つ2つあるのだが、こちらにも良い刺激になる。続編を期待するし、『期待する』などということを言う以上は刺激を受けた結果をなにがしかの形にして残さねばなるまい。



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